いろんな意味でイタイ出産(前編)
救急車に揺られること1時間。
NICUのある都立病院に到着。
担当の医師より今後の説明を受けた。
前の病院と違って、説明が分かりやすい美人女医だった。
なんとなくホッとした。
しばらくして、医師がモニターをチェックした。
すると、
赤ちゃんが苦しそうだわ。
すぐ出しましょう!
ということで、手術室へ・・・
またもや麻酔の痛ぁ~い針を刺されるのかと思うと気が重い。
しかし、今回はあまり痛くなかった♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ランラン
おまけにすぐ麻酔が効いてきた。
これが、イタイ出産の幕開けだった・・・ (*´ο`*)=3 はふぅん
母体搬送
突然の破水。
いつこうなるか分からない状態であった為、覚悟していたつもりだった。
しかし、いざ本当に破水となると、
このあと、どうなるの?
なんて不安になるものだ。
転院の用意ができるまでの間、旦那と話をしていたのだが、
ありえない事を看護士に言われた。
旦那さんは、救急車に乗れませんから!!
あとから、自分で追いかけてください!
d( ̄  ̄) イイコト?
救急車には、隊員以外に2人しか乗れない。
担当医師と、看護士が乗るから、旦那は乗れないとの事。
あまりに驚いたので、私も旦那も絶句!
旦那は、私のすぐ横に居るにもかかわらず、一緒に救急車に乗れないとは、どういうことよ!!(激怒)
どう考えてもおかしい(`Д´) ムキー!
旦那曰く、どうやら搬送先の病院名しか、その場で知らされなかったらしい。
だから、
住所が分からなければ、行けないじゃないか!
と指摘したようだ。
当然である。
住所を調べつつも、おかしいと思ったのか、結局一緒に救急車に乗ることに・・・
最初からそうしろよ!
と思いながら、転院。
今にして思えば、担当医が
ぴっかぴっかの一年生~♪
ったので、ほかの人を一緒に付けたかったのかしら・・・
子供からのサイン?
ちょうど一年前の4月17日のこと。
その日は、夜中もよく眠れず何度も起きた。
私がいた病室は、前述のとおり常に暑い。しかし、暑さが原因で起きたわけではなかった・・・
心の中にどんよりとした何かが引っかかっていた。
午前の診察の時間になった。 内診室へ移動しての診察なのだが、ベッドから降りるのが、とても不安で抵抗があった。 ( -。-) =3
かといって、嫌だと言ってる場合でないので、言われるまま診察を受けた。
依然として、なんとなく嫌~な予感は続いている。 目を閉じて、ウトウトとしていると、昼食の時間に・・・
あれ?何だか涼しい・・・
エアコンついてる!!
「ようやく安眠できるわ」なんて思った矢先、不安だったことが現実に・・・
冷蔵庫にある水を取ろうとしたとたん、下半身に違和感を覚えた。
ぎゃぁ~~~~~!!
あっという間にシーツが濡れていくのが分かった。
調べてもらったら、やはり
破水している!!
27週0日だったので、母体搬送となった。
以前、医師より話があった時の 五分五分 と言う言葉が頭をよぎり、パニックに・・・
その日は偶然にも土曜日で、旦那は自宅にいた。その為、すぐに病院にきた。おかげで気持ちが楽になった。
待つこと2時間余り。搬送先の病院も決まり、救急車に乗ることとなった。
今にして思えば、 嫌~な予感 ってのは、子供からのサインだったのかも・・・
入院生活の不満 (生活編)
入院生活は、とてもツライ日々だった。
子宮頸管無力症であるが故、絶対安静である。
ということは、当然ベッドから降りることが許されないのだ。(w_-; ウゥ・・
汚い話、う○ちはベッドの上でオマルだ。
(おしっこは、チューブを伝って袋に溜まる仕組みであるが、透明の袋なので恥ずかしい)
大部屋なのにぃ~~
ただ、一日に食べる量が少なかった為、
便意をもよおす事はほとんど無かった。(;^_^A アセアセ・・・
このころは、既にツワリ治まっていた。
本来なら何でも食べられていたのだが・・・
じゃあ、なぜ食べる量が少なかったのか。
その理由は、
病院の食事が異常にマズイ!!
この一言に尽きる。
マズイ原因は、肉や魚が生臭い!
おまけに、半生なのだ・・・(`m´#) コロスキカヨ
それに加えて、ご飯の硬さが毎回違うのだ。
おかゆに近かったり、硬すぎたり・・・
まぁ、寝てばかりの生活なので空腹になることは少なくて助かった。
ある日、ほとんど食事していない私を見た旦那は、
食べなきゃダメじゃん!
てなことを言った。
私は当然、
冗談じゃない!
じゃあ、このマズイ食事を食ってみろ!!
( ̄‥ ̄)=3 フン
マジギレしてやった。
そうまで言うのなら・・・と旦那は病院食にチャレンジ(?)
そして、魚のお椀の蓋を開けた瞬間、
くっさぁ~~
と言わんばかりに、そのまま蓋を閉じた。
この件があってからと言うもの、
これまで以上に差し入れを持って来た。
数々ある差し入れの中で、一番嬉しかったのは
アイスクリーム
だった。
同室のほかの妊婦さんも、旦那の差し入れを食べてたヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ
向かいの人は、病院食を、全く食べずカップヌードルを食べてた・・・
食事がマズイのは、かなりキビシイのだが、
それと同じくらいキビシイのは、
病室が異常に暑い!
看護士さん、面会者は必ず”暑い”と言う。
切迫で入院している妊婦であるゆえ、
ウテメリン
のせいで、寝ていても心臓バクバクして暑いのにぃ~(  ̄д ̄;)ノ マイッタ
昼間は太陽が照り付けまさに地獄!だ。
患者の体力を奪ってど~する!!(激怒)
こんなことを考えていたら、イライラして悪循環であることに気づいた。
そこで、CDウォークマンでイマージュを聴きながら、心を無にすることにした。
- アーティスト: オムニバス, カール・ジェンキンズ, 葉加瀬太郎, ヨーヨー・マ, ジョージ・カランドレリ, 盤古2001, 山田英司, 周志華, 加古隆, 羽毛田丈史
- タイトル: イマージュ
旦那には、
お前は、坊さんか!
悟りの境地?
と言われた。
入院生活の不満 (医師編)
2004年3月末、手術した。
しかし、手術から数日して、4月に・・・
3月・4月といえば、年度変わりである。この時期、人事異動が多いのは、一般的な話。
ご多分に漏れず、私の担当医が移動により変わることになった。
4月1日、新しい医師が挨拶に来た。
顔を見た瞬間、私は目を丸くした。
若っ!!
w(゚o゚)w オオー!
どう見ても、私より年下。
ぴっかぴっかの一年生~ ♪ てな空気が・・・
手術自体も、前の先生の経験値を上げるため・・・っぽく思える緊急手術だったのだが。
不安を覚えながら、患部の消毒。
不安的中!
痛いっ!!
とにかく痛い!
看護士は、力抜いてぇ~ なんて他人事だと思って・・・
回診から1時間ほど痛みが続いた。
ちなみに、同室の人もみんな痛くて文句ブーブー
怒怒怒 (`´)怒怒怒
新しく来た医師はもう1人いたのだが、こっちも痛い!!
こんなに痛かったら、刺激で赤ちゃん生まれちゃいそう!! なんて思っていた。
数日間、必死に我慢していたが、耐え切れなくなり文句を言ったのはいうまでもない・・・
手術 (後編)
もともと、私の職場も常にいろいろな曲が流れてうるさいところだ。
だから、静かな曲が聴きたいのだが。
2004年3月当時、流行していた曲だった。
聞き飽きていた為、ボーっとしていた。
聞くところによると、趣味の悪いBGMは常識らしい(;^_^A アセアセ・・・
参考URL:ちーたろさんの育児日記
中盤までは、4人の医師がテキパキ動いていたので、すぐ終わるだろうと思った。
しか~し、そんなに甘くはなかった・・・( ̄□ ̄;)!!
医師の動きが止まった・・・
(; ̄Д ̄)なんじゃと?
そういえばさっき、何かが床に落ちる音がしたしぃ・・・
何だ?
何だ~?
何だ~~?
何か、必要な道具か薬品が足りないのか??
そんなカンジだった。
当然手術はストップした。
医師たちは、座って話しをしたりしている。
休憩かよ!!
きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
体勢が苦しくて、息をするのがツライのにぃ・・・
どれくらい待たされたのだろう・・・
1時間?
苦しいと思っていたから、時間が長く感じただけで、30分くらいかな?
ようやく再開された。
最初は引っ張られる感じだったのが、
今度は、内臓を押し込まれるというか、
大量の詰め物をされたようなカンジが・・・
だんだん暑くなって、汗が流れるし、
疲労はピーク・・・
まだかよ!!
って叫ぼうとしたその時、ようやく終了!!
手術室の前で、待っていた旦那と母の顔を見たらホッとした。
病室に戻り、時間を確かめると、夜の9時だった。
ってことは、
3時間!!
そりゃ疲れるわ・・・
こうして一日が終わった。
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手術 (前編)
私以上に、緊張しているようだ。\(-O-;) ッテナンデヤネン
他愛も無い話をし、いよいよ手術室へ・・・
まずは、局部麻酔。
これがまたイタイのなんの。イタイッテェ σ(TεT;)
感覚を確かめながら、麻酔をかけていくようだ。
本来なら、完全に麻痺する量を打ったようだが、
イマイチ効いてなかった。
感覚はメチャクチャありますけど・・・
(;´Д`A ```
ということで、また背骨に針を刺されることに・・・
今度は、ようやく効果があらわれたようだ。
いよいよ手術台へ・・・
強制M字開脚状態の手術台に乗った。
ただ、お尻のほうが高くなっている為、非常に苦しい体勢。
手術が始まった。
麻酔が効いているので痛みは無いのだが、
なんか苦しい・・・
腰が頭より上になるだけでも、もちろん苦しい。
しかし、それにも増して下腹部が苦しい。
内臓が下から突き上げられてるというか、
おなかの中に風船を入れて、膨らませているカンジ(;´Д`A ```
中途半端に意識があるだけにツライ・・・
手術室の隅に置いてあるラジカセから流れる音楽に
不満を持ちながら、手術はまだまだ続く・・・
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緊急入院
入院するにあたり、レントゲン等いろいろな検査を受けた。
そして、ウテメリンも投与された。
もともと血管が出にくいタイプなので、点滴は嫌いだ。
1回で入るといいなぁ・・・
(せめて3回以内にしてぇ~ オ( ̄人 ̄)ネ(-人-)ガ(*_ _)人イ )←こころの叫び
というのも、昔事故で入院したことがある。
そのときも常時点滴をしていたのだが、
針を替える度に、3~5回刺し直しをされた。
ひどいときは20回程、血管を探りながら刺したり抜いたり・・・
きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
こんなことが頭をよぎった・・・
このときは運良く2回で針が入った。
☆;:*:;☆;:*:;☆“Congratulations”☆;:*:;☆;:*:;☆
喜んだのも束の間。
今度はウテメリンで、
動悸が激しく、体が熱くてたまらなくなった。
しばらくして、主治医がやって来た。
診察の結果は、
子宮頸管無力症
とのこと。
何それぇ~~?
詳しい説明受けたが、頭に入らない。
とにかく、
①子宮口が開きかけている為、胎胞が出かかってる
②子供がかなり危険な状態である
③手術が必要である
ということは、理解できた。
そして手術についての説明があった。
手術はマクドナルド法にて行うらしい。
良く分からないが、とにかく子宮口をテープで縛って閉じるようだ。
気になるリスクは・・・
五分五分です!
と言われる。
このとき既に22週目だった。
通常なら、14~16週にやる手術らしい。
出かかっている子供を押し込む為、破水の危険性が否めないようだ。
万が一破水した場合、即転院です!
と言い渡される。
手術中はもちろんだが、術後に感染症で破水しても同じである。
五分五分だなんて言われて、正直落ち込んだ。{/kaeru_shock1/}
顔には出さないが、旦那もかなり落ち込んでいたようだ。{/hiyo_oro/}
悩んでも解決にならないので、
手術に賭けることにした。(;-_-) =3 フゥ
そして、とんとん拍子に話が進み、
4日後手術することに・・・
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無理した結果・・・
土日休みの旦那と、平日休みの私。
休みが合うこともないため、挙式なんて頭になかった。
しかし、私の母親(結構見栄っ張り)が、
頑として許さなかった。
のらりくらりと、先延ばしにしていたら妊娠。
こうなったら、私の母親は黙っていなかった。
すぐに挙式しろ! (=`(∞)´=) ブーブー!!
私も旦那も、おまけに私の父も
出産してからでいいよ OK!!( ̄▽ ̄)δ⌒☆
なんて思っていたのだが。
(ちなみに旦那の親は、挙式はお金かかるから無理してしなくても派です)
今後、面倒なことにならないように、
とりあえず見栄に付き合うことに・・・
2004年3月14日、東京で挙式。(旦那の地元)
一週間後の3月21日、岐阜で披露宴。(私の地元)
この強硬な移動は、やはり妊婦にはキビシイものだ。 (*´ο`*)=3 はふぅん
翌日は自宅で休んだが、翌々日は通常に出勤した。
疲労もピークだった為、体調を崩した ┌┤´д`├┐ ふぅ・・・
変な予感がして、病院に直行。
診察が終わり、医師が一言。
今日は帰れませんから!!
このまま入院です。
何ですと~~??
久しぶりに二人揃って休みで、デートする予定だったのに・・・
てか、明日も仕事だしさぁ。
私 :
とりあえず着替えを取りに帰りたいんですが・・・・
医師:
無理です。
赤ちゃんの袋が出かかってるので危険なんです!
看護士:
じゃ、これ(車椅子)に乗って~
何だか、訳分からないまま病室に拉致された。 ヽ(  ̄д ̄;)ノ オテアゲー!
このときから、辛い入院生活が始まった・・・
ヤバイでしょ・・・
翌日自宅に戻るときのこと。
昼過ぎの新幹線に乗り、インターネットしながら東京に向かっていた。
乗車してから一時間余り経ち、
静岡駅を過ぎ新富士駅にさしかかるあたりで最悪なことに・・・
PCを片付け、景色を見ようと何気なく外を見た。
すると・・・
げ、減速してるぅ~~~!
きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
あ、停まった・・・
こうなったら、どうしようもない・・・
ヽ(  ̄д ̄;)ノ オテアゲー
しかも、新富士駅で停まったのだが、追い越す方の線路だから、
降りることもできず・・・(*/□\*)うわぁ~ん
PCを再度起動し、JRの運行状況を見ることにした。
「・・・」
トラブルが起きたばかりで、情報が出てなかった( ̄‥ ̄)=3 フン
車内が「どーしたんだ?」という空気になった頃、
車掌のアナウンスが流れた。
只今、藤沢(だったと思う)で、高架脇の火災のため・・・・・
えぇ・・・??
じゃあ、いつ動くのだ?
てなことを考えていると、
復旧のメドは立ってません!!
はぁ~~~?
↑魔邪コング風にね(青木さやかでも可)
降りることもできず、いつ東京に着くか分からないだなんて・・・
しかも、このままじゃ東京でラッシュに遭うじゃん
(*/□\*)うわぁ~ん
憂鬱だが、どうしようもないので、
半ば投げやりな気持ちで寝ようとした。
すると、突然
あいたたた・・・・
下腹部に激しい痛みが・・・∑(; ̄□ ̄A
あまりの痛さに、変な汗が出てきた。
これ、ヤバイんちゃう?
と思いつつも、
ここで降りても、その後困るやん・・・
とも考えていた。
停車すること一時間、ようやく動き出した。
当然、東京駅までの所要時間を考えて、速攻旦那に連絡した。
早く東京駅に迎えに来て!
一時間後、ようやく東京に着いた。
旦那の顔を見た瞬間、涙が・・・
とにかく無事に自宅へ戻れて、ホッとした。
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